「あの日」からの僕たち

「あの日」がきっかけで、友人は母親の実家がある横浜へ引っ越す事が決まったと連絡を受けた。引っ越し当日、チームメンバー数人と一緒に見送りに行った。

「結局引っ越す事になったけど、横浜でも野球は続ける。受験はちゃんと親と相談して決める」
若干10歳にして精神的に自立している友人。友人の目は未来を見つめていた。それまでの葛藤を知る私、未来を考えた事が無かった私はただ「そうか」と呟き返すのが精一杯だった。

その後、私は中学受験をした。中高一貫の私立学校へ進学した後は「文武両道」を掲げるようになり、勉強も野球も全力で頑張った。友人に影響を受けたのは否定しない。しかし、それ以上に、震災を通じた様々な体験が私を大きく動かした。震災直後、危険を顧みずにボランティアへと向かった父。その父を支え、一緒に行動した母。二人の背中は大きく、そして頼もしかった。そして両親のような頼もしい人々が力を合わせ、街を少しずつ良い方向に変化させていることも実感した。

「人のために動けるようになりたい」

その想いが常に私の中にあり、原動力となった。

友人とはその後何回か年賀状のやりとりをしたが、お互い忙しくなりいつしかそれもなくなった。20数年の月日が流れ、神戸の街並みは綺麗に整い、人口も増加傾向にある。携帯電話、インターネットも随分進化し、SNSを通じて友人から連絡が来た時は驚いたと同時に、覚えてくれていた事がうれしかった。

友人から近日仕事で東灘の酒蔵を訪れると連絡があり、ぜひ食事をと約束。20年ぶりの再会。とても楽しみだ。